破壊後も残された二重教会

ハーナウ

《ワロン・オランダ教会》(Wallonisch-Niederländische Kirche)は、グリム兄弟の銅像が立つ町の中心にある広場から、歩いて3分ほどのところにある。教会を囲むように新興住宅が立ち並んでいるので、一種独特の雰囲気に驚かれるかもしれない。教会の敷地が歩道よりも一段高くにあり、広場一面に人工芝が敷かれているのも珍しい光景だ。時を知らせる教会の鐘も、10分以上鳴り響くこともあるので、教会の真横に住んでいる人は、うるさく感じないのだろう。

この教会は、オランダ教会とワロン教会の2重構造となっている。屋根のないワロン教会のほうは12角形をしており、オランダ教会の方は8角形をしている。両教会の境目の部分には、八角形の塔が2本取り付けられている。この特異な形状は、ドイツの他の町でもあまり例がなく、大いに目をひく。

1597年以降、ハーナウのノイシュタットでワロン地方(ベルギー南部のフランス語圏)とオランダの宗教難民が定住したことで、この2つのグループのために教会の建設も始まった。教会建設に際しては、この2つのグループの言語がフランス語とオランダ語で異なる為、二重教会にすることで両グループは合意した。アントワープ出身で、ハーナウで静止画を中心に製作していた画家のダニエル・ソロー(Daniel Soreau)は、建築と芸術の知識も持ち合わせていた人物であるが、市の創設者であるハーナウ=ミュンツェンベルクのフィリップ・ルートヴィヒ2世に対して、この教会の建設案を薦めている。

この教会のモデルとなったのは、オランダで最初に建てられたプロテスタント教会である、ヴィレムシュタート(Willemstad)のドーム教会(Kuppelkirche /オランダ名Koepelkerk)であったであろうと推測される。円形の構造を持った教会は建設費用もかさむことから、地元の代表団らは懸念を表したが、最終的に円形構造をもった教会が計画されたのだった。

モデルとなったヴィレムシュタートのドーム教会

1600年に基礎石が置かれ、フリードリッヒ4世(Friedrich IV.)やオラニエ好ルイーズ・ジュリアナ(Luise Juliana von Oranien)のような著名人も参加した。当初の見込みどおり、建設は技術的にも経済的にも困難であったが、1608年にその完成をみた。

1945年3月19日、連合国の空襲によって破壊されている。その後、教会は元の形で再建されているが、ワロン教会の部分は、町の破壊について忘れないために廃墟のままで残されている。

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