ラインラントの深い森が吐息を漏らし、ラントシュトゥールの街を見下ろす丘の上には、赤茶けた砂岩の巨躯が横たわっている。
かつて「騎士の終焉」を告げる轟音が響き渡ったこの地も、今はただ風が木々を揺らし、石の隙間に沈黙が堆積するばかりである。中世の騎士道が近代の火砲に屈した、そのあまりに鮮烈な分岐点。
ナンシュタイン城(Burg Nanstein)の遺跡は、滅びの美学を纏いながら、今もなお空を睨みつけている。
石畳の坂道を登れば、時の流れが逆巻くように中世の気配が濃くなる。かつて鉄の鎧を纏った男たちが闊歩し、馬蹄の音が響いた城塞の跡。そこには、一つの時代を強引に引き寄せ、そして自らもその渦中に散っていった伝説の騎士、フランツ・フォン・シッキンゲンの野望が染み付いている。
崩れ落ちた壁の一片一片が、12世紀の創設から続く長い物語の断章として、訪れる者の心に重く語りかけてくるのである。
ラインラントプファルツ州のラントシュトゥール(Landstuhl)にあるナンシュタイン城(Burg Nanstein)の歴史は、12世紀にまでさかのぼる。
この城が今なお人々の記憶に刻まれているのは、16世紀の所有者であり、伝説的な騎士フランツ・フォン・シッキンゲンの存在に負うところが大きい。
騎士の一族に生まれたフランツは、1481年3月2日、エーベレンベルクで生を受けた。
帝国の城としての歩みは12世紀半ばに始まったと考えられており、1189年、バルバロッサの息子ハインリヒ6世の文書によって初めてその名が歴史に登場する。
かつては5人の共同所有者に分かたれていたこの城だったが、1479年、プファルツ選帝侯のシュヴァイクハルト8世・フォン・シッキンゲン(Schweikhard VIII von Sickingen)がその4分の1を相続したことで、財産の統合が動き出した。
1518年にはその息子フランツ・フォン・シッキンゲンが、巧みな交渉と戦術を駆使してラントシュトゥールの全領地と城を手中に収める。父の死に伴い唯一の相続人として巨万の富を得た彼は、ナンシュタイン城を自身の軍事拠点へと変貌させるべく、直ちに着手した。
初期のナンシュタイン城は窮屈で、生活の場としてはおよそ快適とは言い難かった。それは、皇帝フリードリヒ1世が拠点を置いたカイザースラウテルンの帝国宮殿(Kaiserslautern)のような、軍事を司る重臣に相応しい壮麗さとは無縁の場所であった。
帝国の騎士として名を馳せるフランツにとって、旧態依然とした城はもはやふさわしい舞台ではなかったのである。
数々の軍事的奉仕と私闘によって富と権力を手にした彼が、なぜこの城を本拠地に選んだのか。そこには冷徹な戦略があった。
一つはロレーヌ地方の塩採掘場へと続く重要交易路を掌握すること。もう一つは、アルザスから北の居城エーベレンベルクまで点在する彼の広大な所領を繋ぐ、戦略的要衝であったからにほかならない。
1518年からの拡張工事は、城を近代戦に耐えうる最強の要塞へと作り変えることを目的とした。彼は旧来の防御壁を大胆に取り壊し、《グレートロンデル》(Große Rondell)と呼ばれる当時最強の円形要塞を築き上げた。
銃火器による防衛を前提としたこの建設により、地形的な不利を克服。同時に南西の防御を固める小要塞を築き、壁の随所には砲郭を挿入して火力を集中させた。
その一方で、内部には騎士の広間や装飾的な窓を備えた新しいホール、巨大なキッチンを配し、富と権威を象徴する豪華な居住空間を現出させたのである。
しかし、1523年、栄華を極めたナンシュタイン城に突然の終焉が訪れる。シッキンゲンはトリアー選帝侯に対する私闘、《司祭の戦争》(Pfaffenkrieg)に失敗し、帝国アハト刑に処せられたのだ。トリーア大司教、プファルツ選帝侯、ヘッセン方伯の連合軍はナンシュタインを完全に包囲した。
彼らは、当時としては前代未聞の「一日600発」とも言われる猛烈な砲撃を浴びせた。9日間に及ぶ凄まじい攻防の末、城は陥落。シッキンゲン自身も肺と肝臓を負傷し、その傷がもとで落命した。
破壊から20年後、彼の息子たちは再建を許された。1590年までには、ナンシュタイン城は優雅なルネッサンス様式の城へと生まれ変わった。
だが、その平和も長くは続かなかった。
1643年にシッキンゲン家が追放されると、ロートリンゲン公が占領。1668年、プファルツ選帝侯カール・ルートヴィヒ(Karl Ludwig)がこれを奪還したものの、軍事的利用を恐れた選帝侯自らの手によって要塞は破壊された。
さらに1689年、プファルツ継承戦争の戦火がナンシュタインを再び襲い、他の城々と同じく徹底的に破壊されたのである。その後、19世紀に至るまで城跡は採石場として扱われ、かつての巨石は持ち去られていった。
夕暮れ時、朽ち果てた砲郭に立ち、眼下に広がるラントシュトゥールの街を眺める。かつてフランツ・フォン・シッキンゲンが、押し寄せる連合軍の大砲を睨みつけたその視線の先には、今や穏やかな街の灯が点り始めている。
時代は流れ、最強を誇った要塞も無残な廃墟となったが、その石の一つひとつには、中世の黄昏を駆け抜けた一人の男の凄まじい情熱が、今も熱を帯びて残っているかのようだ。
夜の帳が降りる頃、ナンシュタイン城のシルエットは、まるで歴史という名の荒波に耐え抜いた巨大な難破船のように浮かび上がる。
栄光と没落、そして破壊と再建。繰り返される人間の営みを、この城壁はただ黙って見つめ続けてきた。
城を下りる旅人の耳には、風の音に混じって、かつてこの地で散った騎士たちの最期の叫びと、勝利の咆哮が、遠い雷鳴のように響き続けているに違いない。
参考:
burgen-pfalz.com, “Geschichte des Nanstein”, https://burgen-pfalz.com/burgenkatalog/nanstein/nanstein-geschichte-kompakt/
welt.de, “Der Ritter als Staatsfeind, Killer – und Held”, Eckhard Fuhr, 29.05.2015, https://www.welt.de/geschichte/article141611748/Der-Ritter-als-Staatsfeind-Killer-und-Held.html



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