ラインガウの緩やかな傾斜にどこまでも続く葡萄畑、その緑の海を見下ろすように、聖ヒルデガルド修道院の堅牢な石造りの塔がそびえ立っている。
ライン川の川面が陽光を反射し、銀色に輝くその風景は、千年の時を経てもなお、聖女が愛した静謐さを湛えている。風に乗って漂うのは、熟成を待つワインの芳香と、修道院の薬草園から届く微かなハーブの香りである。
対岸のビンゲンを望む丘の上では、かつて中世最大の才女と呼ばれた女性が、天からの啓示を記し、病に苦しむ人々に救いの手を差し伸べていた。
彼女が歩いた石畳や、祈りを捧げた聖堂の空気は、今もなお訪れる者の心を震わせる。ここは単なる宗教施設ではなく、一人の偉大な女性が、男性中心の硬直した中世社会に鮮烈な光を打ち込んだ、知性と神秘の交差点なのである。
リューデスハイム近郊の聖ヒルデガルド修道院には、毎年15万人もの観光客が訪れる。現在の建物は20世紀に再建されたものだが、それは中世に存在したルペルツベルク修道院とアイビンゲン修道院の正統なる後継である。

1165年、これらの修道院を率いたのが、中世最大の才女ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(Hildegard von Bingen)であった。
彼女は医者、詩人、聖職者、そして預言者として、男性支配の世において類稀なる指導的立場を築き上げたのである。
1156年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世は、生涯二度目となる婚礼のためヴュルツブルクにいた。
相手はブルゴーニュ伯家の唯一の継承者ベアトリス・ド・ブルゴーニュ、ドイツ名ベアトリクス・フォン・ブルグント(Beatrix von Burgund)である。
この政略結婚はホーエンシュタウフェン家にブルゴーニュの地をもたらす極めて重要な儀式であった。
その式の前日、皇帝バルバロッサは預言者として名高いヒルデガルトに助言を求めている。
その折、彼女は皇帝に不穏な宣告を下した。「水のあるところには気を付けてください」。
1189年、第3回十字軍に出征したフリードリヒ1世が、その翌年に小アジアのサレフ河で溺死するという悲劇的な結末を迎えるのは、あまりに有名な事実である。
皇帝さえも畏怖した聖女とは、いかなる人物であったのか。
ヒルデガルトは1098年頃、アルツァイ近郊のベルマースハイムで高貴な家の10番目の子として生まれた。
幼少期、彼女はユッタ・フォン・スパンハイム(Jutta von Spanheim)に師事し、その厳格な精神教育はヒルデガルトの保守的かつ規律を重んじるベネディクト会士としての基盤を形作った。
やがてザンクト・ディジボード男子修道院の修道士フォルマール(Volmar)の助力を得て、敷地内に女子修道院が設立される。
1136年、恩師ユッタの死を受けてヒルデガルトは院長に選出された。彼女の名声によって各地から修道女が集まり、手狭になったため、1150年にビンゲン近郊のルペルツベルク(Rupertsberg)に新修道院を建設した。
そこは先進的な水道設備を備えた、当時としては驚異的な衛生環境を誇る建築物であった。
彼女の卓越した運営手腕は他院の羨望と嫉妬を呼び、時として悪意ある噂との戦いを強いられたが、彼女の毅然とした態度はその名をさらに高める結果となった。
ルペルツベルク修道院は、後に三十年戦争中の1632年にスウェーデン軍によって破壊される。
しかしヒルデガルトは生前、マインツの宮廷で皇帝から勅令を受け、1165年に現在のアイビンゲンに聖ヒルデガルディス修道院(Sankt Hildegardis-Abtei zu Eibingen)を創設していた。
1141年、彼女は幼少期からの神秘体験をラテン語で綴り始め、著作《『道を知れ』Scivias》を完成させた。その幻視の才能は教皇エウゲニウス3世(Eugen III.)によっても正当性を認められている。
また、彼女は薬草学の先駆者でもあった。著作《Causae et curae》では病の発症と治療を説き、伝統医学にハーブの知識を融合させた独自の民間療法を確立した。彼女は薬草やスパイスを小麦に練り込み、天日で干したパンを作って病人に提供したという。
1170年からは高齢にもかかわらずドイツ各地へ説教の旅に出かけ、人々に神の声を伝えた。
1179年9月17日、彼女は82歳でその波乱に満ちた生涯を閉じた。
15世紀初頭、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは聖人として列聖され、今もなおその智慧はラインの地に息づいている。
修道院の売店には、今も彼女のレシピに基づいたスペルト小麦の製品やハーブティーが並び、訪れる人々に数世紀前の癒やしを伝えている。
夕暮れ時、ライン川を渡る風が修道院の鐘の音を運んでくるとき、人々はかつてこの地で天の啓示を受け、大地の力を信じた聖女の強い意志を肌で感じる。
彼女が遺した医学や音楽、そして言葉は、時の流れに洗われてなお、その輝きを失うことはない。
巡礼者たちが立ち去った後の静かな境内には、ただ葡萄の葉が触れ合う音だけが響く。
中世という激動の時代を、知性と信仰を武器に駆け抜けた一人の女性。
その魂は、今もラインガウの豊かな土壌に深く根を張り、訪れるすべての旅人を慈しみ深く見守り続けているのである。
参考:
welt.de, “Sie kämpfte im Mittelalter für Gleichberechtigung”, Gernot Facius, 23.09.2009, https://www.welt.de/kultur/article4594931/Sie-kaempfte-im-Mittelalter-fuer-Gleichberechtigung.html
we-love-nature.de, “Hildegard von Bingen – mehr als Dinkel und Kräuter”, 06.12.2013, https://www.we-love-nature.de/entdecker-und-pioniere/hildegard-von-bingen-mehr-als-dinkel-und-kraeuter/
regionalgeschichte.net, “Hildegard von Bingen”, Nathalie Rau, 03.07.2013, https://www.regionalgeschichte.net/bibliothek/biographien/hildegard-von-bingen.html
planet-wissen.de, “Hildegard von Bingen”, Petra Haubner, https://www.planet-wissen.de/gesellschaft/medizin/klostermedizin/hildegard-von-bingen-100.html



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