プァルツ歴史博物館

シュパイヤー

シュパイヤーにあるプァルツ歴史博物館は大聖堂からわずか200mの距離にある。ミュンヘンのバイエルン国立博物館も建設した建築家ガブリエル・フォン・ザイドル (Gabriel von Seidl)が建設を行い、建物は1910年に完成している。総展示面積は約7,500㎡で、サッカー場より少し広い。この博物館は数万点以上の展示物を所有しているが、全てが常設展示されているわけではない。「ローマ時代」,「大聖堂と教区教会博物館」,「ルター、プロテスタントとプァルツ」,「ワイン博物館」の4つのテーマに分かれて展示が行われている。2022年現在、建物の改修作業の為、展示は大幅に制限されている。筆者が訪問した際には、この博物館の目玉である「ローマ時代」と「大聖堂と教区教会博物館」の見学が不可能であった。

歴史博物館内部(筆者撮影)

「ローマ時代」には、ローマ時代の遺跡などが展示されている。紀元前12年頃、プファルツにやってきたローマ人は兵士であり、彼らはこの地で道路を建設し、野営地を設置している。兵士はまた職人を伴ってこの地にやってきた。その職人による作品や道具などが展示されている。

現在、カイザースラウテルン(Kaiserslautern)が町がある場所には、紀元前8000年頃の居住地跡が存在していた。この町から北18マイルの所に位置するミーザウ(Miesau)の辺りで2500年前のケルトの墓石が見つかっており、その遺跡の一部もこの博物館に展示されている。

「大聖堂と教区教会博物館」は、シュパイヤー大聖堂が《カイザードーム》(皇帝大聖堂)と呼ばれるほど、多くの皇帝とその配偶者が埋葬されていることから、彼らが生前に所有していた所縁の品が残っており、展示されている。代表的なものとしては、コンラート2世妃ギゼラの王冠、ハインリッヒ4世の指輪、ハインリッヒ3世の宝珠がある。

「ルター、プロテスタントとプァルツ」は、16世紀の宗教改革に関連した資料が見られる。シュパイヤーは1529年に行われた帝国議会において、皇帝の決定に対して改革派が抗議したことから、以降、改革派のことを《プロテスタント》と呼ぶようになった。つまり《プロテスタント》発祥の地である。

「ワイン博物館」は、建物の地上階・地下階、レストランエリアの隣に設置されたスペースで展示が行われている。プァルツはワインの産地として有名であり、2000年前からワインの製造が行われていた。1727年に作られた巨大な木製のワイン搾り機など、当時、実際に使用されていたワイン作りの道具が展示されている。

1969年、ゲルマースハイム近くのリンゲンフェルト(Lingenfeld)で納屋を建設中に、宝物が発見された。6つの銀製の容器、金を含む宝石、多数のコインが含まれていた。その一部だけが今日公共のものとして所有されている。コインは、14世紀半ばにシュパイヤーで鋳造されていた。コインに記された日付によって、1348年/1349年にペストが大流行した年のコインを時系列で分類することが可能であった。これらのコインはシュパイヤーで疫病が流行した際中に、ポグロムによって逃亡を余儀なくされたユダヤ人のものであったと推測されている。ユダヤ人は逃亡の途中に自身の財産であるこれらのコインを埋めたと考えられる。

1523年の作。作者不明のガラス作品。シュパイヤー司教ゲオルク・フォン・デア・プァルツ(1486年ー1529年)の紋章。紋章は、プァルツのライオンと、バイエルンのヘンルーダ(ミカン科の植物)、そしてシュパイヤー教区の青地に白の十字架を表している。

ゲオルクは教会の改革には熱心であったが、マルティン・ルターの改革運動には反対しており、ルターの著書を禁止している。ルターの宗教改革の支持者と考えられていたシュパイヤーの補助司教、アントン・エンゲルブレヒト(Anton Engelbrecht)を追放し、エンゲルブレヒトは、その後、ストラスブールに逃亡している。ゲオルクは、1529年に開かれたシュパイヤー帝国議会の直後に亡くなっている。

1900年頃、ルドルフ・イェリン(Rudolf Yelin)作の意匠。シュパイヤーの記念教会(Gedächtnis Kirche)蔵。1517年10月31日に、マルティン・ルターがヴィッテンベルク教会の門に95か条の論題を打ち付けた場面を描いている。1904年に奉献されたプロテスタントの記念教会では教会の窓際に飾られていた。

1709年の反転ガラス絵、ウルリッヒ・ダニエル・メッツガー(Urlich Daniel Metzger)の作。プァルツ歴史博物館蔵。この絵はキリスト教の格言を含む13の部分に分かれている。左上に描かれているのは神の目であり、全てを見通している。この作品はシュパイヤー市に捧げられたものである。

教会塔の雄鶏。1730年頃の作。鉄製。作者不明。3っつの塔の雄鶏と呼ばれるこの装飾は、グリュンシュタット(Grünstadt)、キルヒハイムボーランデン(Kirchheimbolanden)、そしてプァルツにあった所在不明の教会にも飾られていた。キルヒハイムボーランデンの聖母教会にあった雄鶏は、1849年のドイツ革命時に、プロイセン軍とプァルツ・ラインヘッセンの兵隊によって拳銃で撃ち抜かれている。この聖母教会は1731年に建設され、1818年までカトリック教徒が内陣を利用し、ルター派が身廊を利用していた。1818年にカトリックに譲渡されている。雄鶏の装飾は、1936年頃に取り外されたとされる。

1931年、フリードリッヒ・ウルム(Friedrich Ulm)の作。これは1529年のシュパイヤー帝国議会において、参加した6人の諸侯と14の自由都市の代表者が抗議を行っている瞬間を描いたものである。抗議を行った少数派はマルティン・ルターの教えを広めることと、ルターに対する帝国追放令の撤回を求めている。下には描かれている人物が説明されている。この絵はシュパイヤー帝国議会の400年記念が行われた1929年の宗教改革記念日をきっかけとして作成された。

16世紀に作られた作者不明の彫像。砂岩。1526年と1529年にシュパイヤー帝国議会が開かれた場所は、大聖堂のすぐそばにある市庁舎(Ratshof)だった。1689年に破壊され、1819年に取り壊された二つの建物の正門を飾っていた「紋章を持つ彫像」である。このルネサンスの彫刻はかつて二重の扉のそばに置かれていた。そしてその後、近くの井戸で発見されている。カブトをか跪く像は、シュパイヤー市の紋章を手にしている。当時の典型的な衣装を着た像は「帝国の鷲」(ハプスブルク家の双頭の鷲)の紋章を手にしている。

16世紀に使用された槍のレプリカ。21世紀の作品。ここに展示されている3本の武器は、1529年のドイツ農民戦争の頃のものである。諸侯に仕えたランツクネヒトはこういった専門的なハルベルデ(先が鍵型の槍)を武器としていた。1525年、農民の反乱に対して、ルター派は農民たちを犬を殺すように鎮圧するよう諸侯たちに助言している。

木製のブドウ圧搾機。使用方法については、以下のイラストと説明書きを参照。

この木製の機械の使用方法は次のようなものだ。①まず、摺り潰されたブドウが、中央の圧搾面に敷かれる。圧搾プロセスが開始されると、ブドウの汁が3つの溝を通って、下にある石の容器に流れ込む。②まずは、摺り潰されたブドウが中央に敷かれ、その上に板を置き、その上に何重かの角材の層を作る。③中央の木製の圧縮棒を固定していたバーを外し、これで圧縮機は8トンの重量をかけることができた。こうしてプレス作業が開始される。④ネジが付いたロッドを利用し、取り付けたバーを持った2名の作業者が時計回りにグルグルと回る。⑤こうすることで、木材の端ではブドウに強い圧力がかかり、持続的にプレス作業が続く。これが最初のプレス工程である。⑥今度は2名の作業者が反時計回りに回る。そうするとブドウを圧縮する木材がまた水平に戻るのだが、先ほどより支点は低くなっており、次のプレスの準備が完了となる。⑦そして2回目のプレス作業が開始される。この作業の後、中央に敷いたブドウは最大で60%も薄くなる。

1702年製の木製スピンドル・プレス機。このタイプのプレス機は19世紀までプァルツで普及していた。先ほどのプレス機と比較してあまりスペースを必要としない点が利点であった。

1860年から1950年頃の作。ブドウ圧縮機付きの樽。19世紀中頃からプァルツではワイン農家が増加し、このタイプの道具が配備された。

この5,000リットルを超える樽が作られたきっかけは、カール・テオドールとエリザベート・アウグストの結婚25周年の記念であった。金メッキと彫刻が施された樽の底は特に美しい。ラテン語で書かれた碑文には、「1月17日、プァルツ選帝侯カール・テオドールと、選帝侯妃エリザベート・アウグストの結婚記念日が祝われた。」そして「凍り付いたライン川の表面で、敬意をもって3度祝福した宮廷ワイナリーの責任者、アダム・ビーズ(Adam Bieth)によってこの樽は作られた。」と書かれている。この樽は長い間、バザーマン・ヨルダン(Bassermann-Jordan)というワイナリーの所蔵であったが、1926年にプァルツ歴史協会の100周年を記念して博物館に寄贈された。

ギゼラの王冠 (Source:museum.speyer.de)

ここからは、普段「大聖堂と教区教会博物館」のコーナーで展示されている宝物で、この博物館の目玉である。1043年作。コンラート2世妃ギゼラの王冠。

 ハインリッヒ4世の指輪 (Source:museum.speyer.de)

ハインリッヒ4世の墓から発掘された11世紀の黄金の指輪。

黄金の聖杯 (Source:museum.speyer.de)

黄金の聖杯は、大聖堂の宝物庫で最も壮大な典礼品の 1 つ。ダミアン・ウーゴ・フィリップ・フォン・レールバッハ伯爵(Damian Hugo Philipp von Lehrbach)によってシュパイヤー大聖堂に寄贈された。黄金の聖杯には、石英、ルビー、ダイヤモンド、エメラルド、アメジストがセットされ、レリーフには旧約聖書の場面が描かれている。

ハインリッヒ3世の宝珠 (Source:museum.speyer.de)

ハインリッヒ3 世の宝珠。1056 年の作。

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