カール大帝とインゲルハイムの赤ワイン

インゲルハイム

インゲルハイムには、カール大帝が建てた、カイザープァルツ(Kaiserpfalz)と呼ばれる王宮跡がある。8世紀の終わり、780年から800年の間に建てられたもので、当時の伝記作家アインハルト(Einhard)によると、それは、アーヘン王宮(Aachener Königspfalz)とニムヴェーゲン王宮(Pfalz Nimwegen)に並ぶ、皇帝の「最も壮大な宮殿」の1つであった。カール大帝は、アーヘンの王宮礼拝堂(Aachener Pfalzkapelle)とマインツのライン橋(Mainzer Rheinbrücke )に続いて、この町に王宮の建設を開始している。しかし、建物はカール大帝の息子ルートヴィヒ1世の下で完成を見た。 ルートヴィヒ1世 はしばしばここに滞在たという。移動宮殿が一般的であった時代において、インゲルハイムプファルツは、11世紀まで、ローマ王(Römisch-deutscher König)と王妃にとって、一時的な住居と政務の場所を提供したのだった。1163年、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンが、インゲルハイムの皇居に滞在中であったフリードリヒ・バルバロッサを訪問している。

プファルツの敷地は、マインツの西15 kmにある今日のニーダーインゲルハイムにあり、《イム ザール 》(Im Saal)と呼ばれるライン平野の広い景色を望む斜面にある。 カイザープァルツの遺跡でも特に印象的な、アウラレギア(Aula regia)とハイデスハイマー門(Heidesheimer Tor)は、今日まで保存されている。

インゲルハイムのカイザープァルツ跡(Source:rheinhessen.de)

未完成ながらも、カール大帝はインゲルハイムの宮廷に滞在していた。しかし、787年と788年に長期滞在した後、インゲルハイム王宮は宿舎として使用されなくなり、その後は 807年8月にもう一度訪れただけであった。大帝にとってのお気に入りの宮殿は、アーヘンにとって代わられたようであった。

インゲルハイムは、息子のルートヴィヒ1世が頻繁に訪れており、817年から840年の間に10回も訪問している。 ルートヴィヒ1世の治世下で、インゲルハイム王宮では、5つの帝国議会と4つの高位大使参加のパーティーが開かれ、教会会議も開催されている。840年6月20日、ルートヴィヒ1世はインゲルハイム近郊のライン川の沖の島で亡くなった。しかし、彼の遺体はインゲルハイムではなく、一族の墓のあるメッツ(Metz)の聖アルヌルフ修道院(Abtei St. Arnulf)に埋葬された。

神聖ローマ皇帝オットー2世は、シュヴァーベン公領を領有に関して、バイエルン公ハインリッヒ2世と争い、ハインリッヒ2世をインゲルハイムの王宮に幽閉したこともある。(ハインリヒは後にここを逃亡したが、バイエルン公位を剥奪されている。)1043年には、ハインリッヒ3世が、この地でアグネスと結婚式を挙げている。

メッツの聖アルヌルフ修道院(Source:tripadvisor.fr)

カール大帝は、貿易、商業、農業に加えて、文化を推進した人で、ワインの製法についても法制度を構築したと言われている。カールのワインに関する規制のなかには、足でブドウを踏んで絞ったり、動物の皮の中にワインを保管したり、鉄の輪っかが付いたワイン樽の使用を禁止する、といった衛生面の厳格な禁止条項が含まれていたという。

さらにカール大帝は、自家製のワインを提供することを許可したワイン醸造業者に対しては、彼らの家のドアの上に、緑色の花束を掲げさせたという。今日でも、自家製ワインを提供する造り酒屋は、主にオーストリア東部などで、ホイリゲ(Heuriger)やブッシェンシャンク(Buschenschank )と呼ばれており、カール大帝による営業許可証は、その起源ではないかと考えられているが、この事実を裏付ける確たる証拠は見つかっていないという。

典型的なホイリゲの看板と緑の装飾(Source:badvoeslau.at)

ライン渓谷の鬱蒼とした森はカール大帝の指示に従って伐採され、ハンガリー、イタリア、スペイン、ロレーヌ、シャンパーニュの良質なブドウの木のみが植えられた。高品質のブドウ品種の選択に大きな注意が払われたのだった。カール大帝は、最良のブドウ園の場所を決定する際にも、その影響力を行使したと言われる。インゲルハイムの宮廷に向けてライン川を船で移動していた際に、リューデスハイムの斜面の雪が太陽光で溶けているのを確認した大帝は、ここにブドウ園を配置し、オルレアン産のブドウを植えるように命じたという。

カール大帝は、インゲルハイムに代表的なプファルツ(王宮)を建設することを決定したとき、同時にブルゴーニュのブドウの木の栽培を命じている。伝えられるところによると、栽培されたブドウの木は見事に育ち、そのブドウで造られたワインは非常に味わいがあり、地元の人々で消費され、訪問客には何も残されていなかったという。この町を訪問したヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)でさえ、ワインにありつけなかったと伝えられている。インゲルハイムで赤ワインのブドウが栽培されている地域は現在、300ヘクタールをはるかに超えており、ワイン生産量も増加している。

インゲルハイムのブドウ畑(Source:spar-mit.com)

ワインを愛したカール大帝であったが、酔っぱらうことを嫌ったようで、適度な飲酒を心掛けていたという。カール大帝曰く、「節度を愛する者だけがワインの真の友である」。公の宴会では、3杯以上は飲まなかったという。インゲルハイムで赤ワインが栽培されるようになったことからもわかるように、カール大帝は赤ワインを好んでいたが、赤ワインが自慢の白ひげに望まない色をつけるので、老後は白ワインを飲むようになったという。

カールゆかりの地、インゲルハイムでは毎年9月末から10月の初めにかけて、ワイン祭りが開催されている。

インゲルハイムの赤ワイン祭(Source:dermainzer.net)

参考:

entdecke-deutschland.de, “Wie der Rotwein nach Ingelheim kam”, https://entdecke-deutschland.de/bundeslaender/rheinland-pfalz/mystisches-rheinland-pfalz/

glossar.wein.plus, “Karl der Große”, 22. Oktober 2021, https://glossar.wein.plus/karl-der-grosse

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