マイン川の流れに沿って歩くと、フランクフルト・アム・マインという都市が、単なる金融の中心ではないことに気づかされる。ガラス張りの高層ビル群のあいだから、ふと中世の面影を残す建物や教会の塔が顔を覗かせ、街全体がまるで幾重にも重ねられた時間の層でできているかのようだ。
旧市街の復元された木組みの家々や、マイン川にかかる古い橋を見下ろすと、この場所が何世紀にもわたり人々の営みと記憶を受け止めてきたことが実感される。賑やかな都市の鼓動のすぐ下で、忘れられた物語たちが静かに息を潜めている――そんな感覚が、歩みをゆっくりにさせる。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは自伝『詩と真実』の中で、幼い頃に体験した恐ろしい光景を語っている。ザクセンハウゼンから街へ戻るたび、橋の塔に突き刺さった「国家犯罪者の頭蓋骨」が視界に入り、その不気味な存在は彼の記憶に深く刻み込まれたという。
その頭蓋骨の主こそ、17世紀初頭にフランクフルトを震撼させた男、ヴィンツェンツ・フェットミルヒであった。レープクーヘン職人にすぎなかった彼は、やがて都市の不満を煽り、暴動の象徴へと変貌していく。
1590年頃、フェットミルヒはこの街に現れた。最初は病院での職を求めたが叶わず、菓子職人へと転じる。やがてバターや油脂を扱うギルドに迎え入れられ、都市の職人層の一員となった。しかしその頃、フランクフルトでは繁栄の裏で深刻な歪みが広がっていた。急速な経済発展はすべての人々に恩恵をもたらしたわけではなく、旧来の職人や小商人たちは取り残され、鬱屈した不満を蓄積させていた。
政治の中心である評議会は商人たちに支配されていた。しかも彼らは、土地に投資して貴族のように振る舞う者と、遠距離貿易で利益を追う者とに分かれていた。ギルドの職人たちは、都市の経済を支えながらも発言権をほとんど持たず、政治から疎外されていたのである。
1612年、新たな皇帝選出を控えたフランクフルトで、緊張はさらに高まる。候補者はマティアス。市民たちはこの機会を、自らの要求を突きつける好機と見た。穀物価格の引き下げ、自由市場の確立、金利の是正――そして、その不満の矛先は、次第にユダヤ人共同体へと向けられていった。
歴史家が指摘するように、政治的不満、社会不安、そして反ユダヤ主義は、この時代において同時に噴出したのである。
当初、皇帝の仲介によって事態は一時的に落ち着きを見せた。評議会は拡大され、財政監査も行われた。しかし、その過程で都市の財政が深刻な負債を抱え、さらにはユダヤ人から徴収された手数料が公ではなく一部の権力者の懐に流れていた事実が明るみに出る。怒りは再び燃え上がった。
そして1614年8月22日――火はついに爆発する。
酒に酔った職人たちの群れが、フェットミルヒを先頭に街を進み、ユダヤ人街へと押し寄せた。約2,000人が暮らしていた共同体は、三つの門で必死に抵抗を試みるが、圧倒的な暴力の前に崩れ去る。人々はわずかな持ち物だけを抱え、墓地へと逃げ込むしかなかった。

その背後で、暴徒たちは倉庫や金庫を荒らし、貴重品を奪い、証文を焼き払った。これは単なる宗教的迫害ではなかった。経済的利害が絡み合った、冷酷な略奪でもあった。暴動は13時間にわたって続いたとされる。
フェットミルヒは、怯えるユダヤ人たちにこう告げたという――目的は殺害ではなく「追放」であると。だがその言葉が意味する現実は残酷だった。1,380人ものユダヤ人が街を追われ、ハーナウやヘーヒストへと逃れることを余儀なくされたのである。

(Source: wikipedia.de)
しかし、ここで事態は思わぬ方向へ転じる。
皇帝マティアスは、ユダヤ人に対する帝国の保護義務を重く受け止め、強く介入した。10月、フェットミルヒら首謀者は帝国追放処分とされ、その後裁判にかけられる。最終的に7名に死刑判決が下された。
1616年2月28日、ロスマルクトで処刑は執行される。まず誓約の象徴として指を切断され、その後斬首。フェットミルヒはさらに苛烈な刑に処され、八つ裂きにされた。

そして――その頭部は、見せしめとして橋の塔に掲げられた。
それが、幼いゲーテの目に焼き付いた光景だったのである。
この事件の後、1617年に皇帝はユダヤ人保護に関する新たな勅令を発布した。彼らはその庇護のもとで生き延び、神聖ローマ帝国の終焉までその地位を保つこととなる。ユダヤ人たちはこの救済を記念し、《プリム・ヴィンツ》という祭りで毎年その出来事を語り継いだ。
一方、フェットミルヒの家は完全に破壊され、その跡地には「恥の柱」が建てられた。彼の行為を忘れぬための記念であったが、1719年、周囲の崩壊とともにこの柱も失われ、今ではその姿を見ることはできない。

夜の帳が降りるころ、フランクフルト・アム・マインの街は、昼間の喧騒をゆっくりと脱ぎ捨てていく。レーマー広場の木組みの家々は柔らかな光に包まれ、マイン川には橋の影が長く伸びる。人々はグラスを傾け、笑い声が石壁にやさしく反響する――その穏やかな風景の中で、かつてこの街を覆った激しい憎悪と恐怖の記憶は、ほとんど感じ取ることができない。
しかし、この街の歴史を振り返れば、街が背負ってきた歴史の重みが、かすかな気配となって立ち上がってくる。華やかさと残酷さ、繁栄と崩壊――それらすべてを抱え込みながら、それでもなお歩み続けてきた都市の静かな強さが、夜のフランクフルトには宿っている。
参考:
welt.de, “Sie schlugen ihm die Schwurfinger ab, enthaupteten und vierteilten ihn”, 28.02.2022, Berthold Seewald, https://www.welt.de/geschichte/kopf-des-tages/article237199421/Fettmilch-Aufstand-in-Frankfurt-Sie-enthaupteten-und-vierteilten-ihn.html




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