アーヘンの悪魔

アーヘン

アーヘンのランドマークであるアーヘン大聖堂。聖母マリアを守護聖人としているため、聖マリア教会とも呼ばれる。8世紀の終わり頃、カール大帝はこの大聖堂の中央と西側の建物を自身の宮殿の複合施設の中核として建設したのだった。礎石は795年頃に置かれ、803年頃に完成している。1200年以上の歴史を持つアーヘン大聖堂は様々な時代の建設様式の影響を受けている。カール大帝の霊廟として、教会は936年から1531年までローマ王(ドイツ王)の戴冠式の場所となった。 14世紀以降、アーヘンは7年ごとに行われる聖地巡礼の旅において重要な巡礼地として発展してきたのだった。

この教会では多くのドイツ王が戴冠されてきた。カール大帝の指名により、息子ルートヴィヒ敬虔王(Ludwig der Fromme)は宮廷礼拝堂で王としての戴冠を受けている。 936年のオットー1世の戴冠式から1531年まで、ほとんどすべてのドイツ王がアーヘンの宮廷礼拝堂で戴冠を受けたのだった。 油注ぎと戴冠式は主祭壇で行われ、その後の即位はカール大帝の玉座で行われた。この玉座は現在でも見学することができる。オランダへ行く道中であったアルブレヒト・デューラーは、1520年10月24日にアーヘンで行われたカール5世の戴冠式を目撃しており、自身の日記に次のように書き記している。

「そこで私は、同時代の人間が見たこともないような素晴らしいものを目にした。」

カール大帝は、814年1月28日にアーヘンで亡くなっており、その後、宮廷教会に埋葬されている。カール大帝の墓はオットー3世によって西暦1000年に一度開けられ、再度閉じられている。 1165年、カール大帝はフリードリヒ1世の前で列聖され、大帝の骨は差し当たって仮りのシュライン(Schrein)と呼ばれる納骨箱に納めて埋葬された。 1215年、フリードリヒ2世皇帝は戴冠式の際に、現在でもカール大帝の遺骨が納められている黄金のシュラインに最後の釘を打ち込んだと言われている。

さて、このアーヘン大聖堂、見渡してみると、キリスト教の教会であるのに悪魔と思しき意匠が見受けられる。そして、この大聖堂には悪魔に関する次のような伝説が伝わっている。

アーヘン大聖堂を建設するとき、市には建設に十分なお金がなかった。カール大帝は大聖堂の建設に最高の素材だけを使用するように望んでいたのだが、数々の戦争に巻き込まれたため、戦費の捻出により町は財政難に陥っていた。カール大帝は市議会に、次に自分がアーヘンに戻ってくるまでに建物を完成させるように命じた。困り果てたアーヘン市民は悪魔と取引をすることにした。大聖堂が完成してから最初に聖堂内に入った魂を悪魔へと捧げる替わりに、市民は建設のためのお金を手に入れたのだった。しかし、アーヘン市民は巧みにも「人間の魂」とは約束しなかったので、人間の代わりにまずオオカミを最初に大聖堂に入れるようにした。このたくらみを知らなかった悪魔は、オオカミの魂を奪った後、騙されたことに気づき、怒り狂ったという。激怒した悪魔は大聖堂の扉を激しく蹴り上げた。そして乱暴に扉を閉めたため、片方の指がちぎれたと言われる。悪魔が蹴ったことでひび割れた跡と、ちぎれた悪魔の指は今でも大聖堂の正面の右扉に残っている。

扉の向かって右手の下のほうに、ひび割れが見える。
ドアの取っ手の中ほどに見えるのが悪魔の指だと言われている。

この門は、《オオカミ門》(Wolfstür)と言われる前庭に取り付けられたブロンズ製の門のことだ。14世紀以来この名前で呼ばれ、大聖堂のメインポータルを形成している。このブロンズのポータルは、800年頃にアーヘンで鋳造され、高さは3.95メートル、幅は2.75メートルある。この扉の取っ手の部分はオオカミではなく、獅子を模した意匠であるが、この扉の右側の取っ手の中ほどに悪魔の指が残っていると言われている。また、アーヘン大聖堂のエントランスホールにはメスのオオカミの銅像が残っている。体の真ん中に空いた穴が悪魔に魂を抜かれるときに切り裂かれた跡だという。このオオカミの反対側に配置された青銅の松ぼっくりは悪魔に捕らえられた魂として考えられている。

メスオオカミの銅像
オオカミの魂を表すと言われる松ぼっくり

ドイツの有名な巨大建造物、特に教会や大聖堂には、悪魔が建築を手伝ったという類の話が多い。有名なところでは、ケルンの大聖堂やミュンヘンのフラウエン教会に悪魔の伝説が伝わっている。

アーヘンの悪魔の話にはまだ続きがある。アーヘン大聖堂の建設を手伝わされた挙句、すっかり騙されたくだんの悪魔はこのままでは怒りが治まらず、アーヘン市民への復讐を考える。この事件の後、悪魔は北から砂を集めてアーヘンの街を砂で埋めつくすことにした。袋にたっぷりの砂を集めた悪魔が現在のゾアース(Soers)周辺で休憩をとっていたとき、ひとりの農婦が通りかかった。悪魔はその農婦に「アーヘンまではここからまだ遠いのか?」と尋ねた。実際にはその場所からアーヘンまでは目と鼻の先だったのだが、農婦は話しかけてきたその男が悪魔の特徴である馬の足をしていることに気づき、とっさに嘘をついたのだった。「私の靴を見てください。アーヘンの市場で購入して初めて履いた新品の靴が今ではこんなにボロボロになってしって・・・これを見ればアーヘンがどれほど遠いか想像がつくでしょう?」そんな遠いアーヘンまでわざわざ砂袋を引きづって運ぶのはバカバカしいと思った悪魔はそこに砂を捨てて立ち去ってしまった。その結果、アーヘンの町は砂に埋没させられることなく、悪魔が砂を捨てた場所はロウスベルク(Lousberg)と呼ばれ、小高い丘になったという。

アーヘン地方の方言では、ロウス(Lous)には《狡猾な》という意味があるそうなので、悪魔とのやり取りを制した農婦の機転の利いたやり取りから、山の名前が付けられたという。今日、クッパ―通り(Kupferstraße)の端にはその農婦とと悪魔のやり取りを表現した銅像が作られている。このあたりには歩道のあちこちに悪魔のものと思われる馬のひづめの足跡も残っている。

クッパ―通りの銅像

ドイツ人は、狡猾な悪魔を町の市民が機転を利かせてやっつけてしまうお話が大好きなようで、様々なメルヒェンで定番となっている。有名なところでは、悪魔を懲らしめたユッタ―ボークの鍛冶屋の話などが伝わっている。

参考:

lousberg-gesellschaft.de, “Wie der Lousberg entstanden ist – Die Sage vom Teufel und der Marktfrau”, Ursula Bein, http://www.lousberg-gesellschaft.de/der-lousberg/wie-der-lousberg-entstanden-ist-die-sage-vom-teufel-und-der-marktfrau/

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